※今日の日記は宗教がかってますが、宗教ではありません(笑)※
今日は、僕の生きていく上での軸の話である。
ここ半年ほど、人生の中でも1番か2番目くらいに辛い思いをしている。最近僕と会った人なら、見た目でも分かる大変さであるため、ああ、なるほど、確かに辛かろう、といったところだと思う。まあ、見た目どおりかはともかく、とにかく辛い。もはや業苦の域であり、今まで遍く宇宙全般に対して真摯に接してきたつもりの僕としては、理不尽極まりない仕打ちを受けていると感じる。
幸い、あっぱれさん→こんぺいじろう氏経由で教えて貰った先生に診て貰い、「社会的に死んだのと同じ状態」からは再起して、それなりに元気に会社勤めをしているが、いずれにせよ辛い。
何なんだろうか、これは。
と、ここ数日ずっと考えていた。
「あんま考えすぎずに、行動した方が良いっすよ」と、じろう氏には勧められた。が、体を動かす元気はほとんどない。よって、言いつけを守らずにずっと考えていた。
この状態で、何を軸に生きていけば良いのか。仮に数年以内にほぼ完治したとして、その先、思い描いている明るい未来はやってくるのだろうか?今まで宇宙に振りまいていた僕のほのぼのオーラは、ちゃんと利子が付いて幸せとして返ってくるのだろうか?
なんか無理かも知れない。
無理ならどうするんだ?大損して僕の人生は終わりか?
そうじゃない。何かがそうじゃない。損とか得とかそんなんじゃない。もっと先に何かがあるハズだ。
周りを見渡してみると、猫もしゃくしも欲望を満たすために必死になっている。欲に駆られた亡者共が他人の欲望を煽りまくり、以下ループな「欲望駆動型」社会になっておる。こんなんでは人類は100年後には滅びちまう。だが、僕の今までの生き方も、少し欲望を満たす方向に傾いていなかったか?決して満たされないことを理解しつつも、「僕のほのぼのオーラは、ちゃんと利子が付いて幸せとして返ってくるのだろうか?」とか言っちゃって、ちょっと欲を出していたんじゃないのか?
そう、返ってくると思っているから理不尽に感じるんである。「投資した分は回収しないと!」とか、器の小さいことを言っているから本質を見失うんである。幸せオーラは大盤振る舞いすれば良いんである。
僕の軸は決まった。
-見返りを求めない誠実さ-
これだ。これでしばらく生きていこう。まあ、なんか行き詰まったらまた考えよう(笑)。